「森達也の『ドキュメンタリーは嘘をつく』」

楽しみにして録画した番組。
見る側の読解力(リテラシー)が試されるような番組でしたが
作る側が親切すぎて「それじゃあネタバレしちゃうよ〜」とププッと笑えるところも多数。
ゴルフクラブを振る森達也。「え、映画監督なんすか」「オヤジ、1発殴らせろぉ〜」


「フェイク・ドキュメンタリー」と言うんだそうで。
ドキュメンタリーのていの、作り物。この番組では最後「作り物ですよ」と種明かしするまで。


TXのHPでは、替山プロデューサー(こんな企画を通すなんて漢っす!)が懇切丁寧に、編集の手法でこう見せることができる、なと具体例を挙げて解説してくれてました。確かに普通にテレビを見る者としては、私が上で書いたような「設定のうさんくささ」は感じとれても、撮り方*1や編集での「ディレクションの意図」は、気づきにくいよなあ〜と思った*2


以前、TBSの磯山Pはクドカンとの対談で「今のテレビドラマは、崖から人が落ちてもさらにセリフで『あっ落ちた!』と補ってやらなくてはいけない」とまでいわゆるメディア・リテラシーの低下について話していた。だけどメディアリテラシーが「低下」したんじゃなくて、もともと「放送」って「権威」だよなあ〜。終戦の「玉音放送」じゃないけど、普通、人は放送されるものを「ありがたい」と感じるのか?なぜか丸呑みにする。疑わない。みのもんたの「ココアが体にいい」が「タイアップじゃん?」などと思う人は多分「ひねくれてる」と言われる。


「情報番組」「ドキュメンタリー」のみならず「作り事ですよ」と謳ってるものにたいしても、鵜呑みしてしまう人も結構いるようだ。ステロタイプで言えば月9ドラマを真に受けて「私もいつかあんな恋ができる」と思ってる女子だの、生身の人間に恋をできない男子だの。逆に仙台の看護士の限りなくえん罪に見える有罪判決や中国人妻のインスリン殺人とか「ドラマかよ!」と突っ込みたくなる事実はいくらでもある。作り事と事実の境界線はどんどん希薄になっている。


そんな時代、判断力を鍛えるのにおすすめなのは… やっぱりジャニにハマることですよ! KAT-TUNは特に、メンバー内のケンカ、今は誰と誰が仲がいい、誰がご機嫌斜め、などが時と共に推移してましてね。それを各雑誌のインタビューやらMステでひな壇に座ってる時の様子などをつぶさに観察しながら分析するんです。これなかなか楽しみながらメディアを読み解く力がつきますの。それで気づくのが「映像の情報量の多さ」。文字にならない情報ってこんなにあるのか、と思い知りますね。先週末の「CDTV」では亀ちゃんが、肩を組んできた中丸の手を振り払った 。・゜・(ノД`)・゜・。とか。 今日はじんじんさまはご機嫌だ、とか、あの2人、あんなに仲良しだったのに(T_T)とか…


そして、結局「現地でこの目で見る」わけですよ。何時間も並んで番組を観覧したり、コンサート行ったりね、しますと、もう全然情報量が違いますよ。ええ。


はい、結局そんな話です。すんません。
でも、情報を集積・分析するって意味では、間違ってないと思うよ… ちなみにもちろん、彼らに「非・好意的な」雑誌の記事も読みます。絶対買わないけど!立ち読みだ、週刊女性!しかも読んだ後、他の雑誌の裏に隠してやるぜ!

*1:といっても撮り方なんか、編集松江氏がディレクター村上氏のおおざっぱぶりを「100円マック並だ!」と憤ってたw

*2:しかも、さんざん松江氏、村上氏が文句を言ってた"ダメ人間森達也”を、最後のワンカット、セリフ一言で「かっこいい、できる人」にしてしまったのは彼らも大いに不本意だったのではあるまいかw